人の気持ちと墓石

生きていたら、誰しも血縁というものに関わりがあります。
そしてその血縁を目で見て実感できるものが墓石だと思います。
墓石というのは不思議なもので、シンプルであって、それでいて威厳ある雰囲気をもっています。
その威厳ある雰囲気は自分のご先祖様を感じることにつながっているのだと、私は感じています。
お墓参りに行き、墓石を水で洗うという行為一つにしてみても、私は深い意味があり、そしてその行動によって親族の気持ちも救われているのだと思います。
墓石を洗い、磨くことによって、自分のその人に対する気持ちを行動で表すことができるからです。
自分の気持ちを行動によってあらわせる場所があるというだけで、それはものすごい気持ち的な救いになると思います。

そして、墓石にお供え物をするということも、深い意味があると思います。
それは単にお供え物を置いているだけではないのです。
故人が好きだったもの、好きだった花を供えることによって、供えた側の人間が、その時故人を思い出すことができるのです。
故人が好きだったもの、それにまつわる思い出、話したことなどがよみがえり、心で会話することができるのです。
今は墓石の形そのものに、故人の趣味趣向を反映させることもあります。
その墓石を見て、「あの人らしいな」
と感じることができれば、こんなに素晴らしいことはないと思います。

生きているうちに自分の墓石を作ることもできます。
それは生きているうちに、親族、仲間に自分を感じてもらうことのできる墓石を自分で考えることができるという、私はとても素晴らしいことだと思います。
生きているうちにお墓を建てることは、長寿をお祈りする縁起のいい良いことでもあります。

人の人を想う気持ちというのは尊く素晴らしいものだと思います。
それを長く長く続かせてくれる墓石というものもまた、尊く素晴らしいものです。
お墓参りに行けば、たくさんの墓石が建っています。
それは、その墓石の分だけ人のつながりがあり、人を想う気持ちがあるということです。

普段くらしていて、そういう大切なことをなかなか口に出しては言いませんが、心の中にしっかりと刻んで、人を想う、思いやる気持ちを忘れてはいけないのだと思います。
またこれから何度も何度もお墓参りに行き、墓石の前で手を合わせ、ご先祖様や、故人を想うことでしょう。
そして手を合わせる度に、そういった気持ちを思い出し、忘れぬようにし、また前を向いて思いやりの気持ちを持って生活していく。
墓石とはそんな素晴らしいことを思わせてくれる存在です。

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